昔からオートバイが好きだった
先日から行っている部屋の整理時にふと昔のアルバムに目が留まりしばしの間タイムトリップを楽しんだ。
その中にカブに跨る私が居た。 そお、わたしは小さい頃からオートバイが大好きだった。 記憶には無いがこのカブにもよく乗せてもらっていたらしい。
街行くオートバイもよく見ており、「あのオートバイのエンジンの形は変わっているな」と思ったりしたものだった。
そのエンジンの特徴はアルファベットのYを太くして丸みをつけた様な形をしていた。 大きくなって免許を取り、オートバイの本を読むようになって「これだったんだ!」と分かった時は改めて小さい頃からの自分のオートバイ好きっぷりに驚いた。 多分あのオートバイはW1~W3のどれかだったのだろう。
小学校2年生の時には、「将来なりたいもは」の授業でオートバイ屋さんと答えている。 後に通学用に中古のカブ90を買い、そのお店の社長さん頼まれて5年くらいアルバイトとしてだがその職業に就いたのだから我ながらたいしたものだ。
その後3台のカブ90、いずれも中古に乗り継ぎ、その中の一台は8万kmも走った。 ここまで来るとオートバイが好きだったというよりはカブが好きだったのかと思ってしまう(笑)
ちなみに8万kmという記録は後年、実の弟の三男さんにメーター一周という記録で抜かされ、さらに現在記録更新中であるからすごい。
この写真の撮影場所は左京区の百万遍交差点近くで、今出川通りの真ん中に立っている人は当時走っていた市電の停留所にて電車待ちである。
ノスタルジックな写真で話はそれたが、さらに時代が進むと、原付バイクヘルメット着用の法改正が行われた。 これにより50ccのバイクにもヘルメットの使用が義務付けられた。
当時レプリカ派だった私は50ccに乗るときにもフルフェイスを着用していたので特に不具合は感じなかったが、ノーヘルで合法的に走れるという最後の日曜日に友人と三人で記念にノーヘルでラストツーリングをした。
私と友人Fは250ccのオートバイしか持っていなかったので当時アルバイトしていた新聞屋の所長さんに頼み込んで、それぞれ自分の担当車両のカブ50とタウンメイト50を借り出した。 この時もやっぱりカブだ(笑)
友人Sは何も持っていなかったので、Fの親戚のお店の従業員の方のスペイシーを貸していただいた。
記憶は定かではないが、京都市左京区から周山街道を走り、鞍馬を通り抜けて元に戻るというコ-スだったと思う。 帰りには上賀茂で新聞屋所長さんへのお土産に名物の「やきもち」を買って帰ったら大変喜ばれた。
今はこの三人も全国に散らばり、それぞれの土地で仕事をしている。 私はその後も唯一の趣味であるオートバイに乗り続け、Fは結婚するまで北の大地を走った。 Sはというと恐らくこれが人生ただ一度きりのバイク体験だった思う。
時代は昭和から平成に変わりすでに24年。 今年は昭和末期のバイクAX-1で新潟へ出かけてみようと思っている。
以上、ウイリアムの昭和なオートバイの話。
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